炭やきという仕事 2

先日書いた炭やきの仕事についての記事の続き、今回は窯での仕事編です。炭窯を見たことすらないという人には、なかなか言葉で説明するには限度がありますが、とりあえず書いてみることにします。

物が「炭」に変わることを「炭化」と言いますが、炭やきというのは木を窯の中で炭化させることです。どうすれば木が炭に炭化するのか、意外とみんな知らないと思います。僕も知りませんでした。

よく原木のバベに火をつけて燃やす、というふうに考える人が多いですが、木をそのまま燃やせば炭ではなくて灰になります。なので、原木に直接火をつけるわけではありません。

窯の内部の形は、入り口が狭く、奥に広くなっていて、イチジクとかビワみたいな形をしています。天井はドーム形になっていて、高さは壁際で自分の腕を伸ばしたくらい、そこから真ん中にかけて高くなっています。奥行きは3メートル、幅は一番広い所で2.4メートル、高さは一番高い所で2.5メートルくらいでしょうか。原木が一度に約3.5トン入ります。

原木は中に立てて入れます。天井の高さに合わせ、壁際には背の低いものを、中央には高いものを結構きっちりと詰め込んで入れていきます。そして窯の口の大半を閉め、下の方だけ開けておいて、そこで火を焚きます。口焚きといって、燃料は何でもいいのですが、だいたいバベ以外の雑木を使います。ウチでは古い梅の木の伐採したものを大量にもらうので、それを使っています。

この口焚きをすることで、窯の中の温度を上げていくのです。先ほど原木には直接火をつけないと書きましたが、窯の口で火を焚き続けても、そこで酸素が使われるので中に燃え進んでいくことはありません。そうやって何日か口焚きを続けて、窯の中の温度をドンドン上げていきます。(夕方、焚き口に薪を多めにくべて口を閉めて普通に家に帰ります。次の朝、口を開けるとまだ火が残ってるので、そこからまた口焚きを再開します)

木は、だいたい275℃〜280℃くらいで自然に発火します。口焚きを続けて窯の中の温度がそれくらいになってくると、中の原木に火がつきます。この時、熱は上の方に上がっていく性質があるため、原木の一番高い箇所で最初に火がつきます。これ以上口焚きを続けると、原木がどんどん燃えていって灰になっていくので、ここで口焚きをやめて窯の口をふさぎます。この時に完全に密閉してしまうと、せっかくついた火が消えてしまって炭化すらしなくなるので、窯の口の下の方にほんの少しだけ空気が入るように穴を開けておくのです。だいたい指一本入るか入らないかくらいの穴を二つほど。

このまま原木についた火がギリギリ消えない程度、でも炎を上げて燃えていかない程度の限りなく少ない酸素を入れて、蒸し焼きのような状態をつくってやると、木は上から下に向かってジリジリと炭化していきます。この時、原木に火がついたかどうか、順調よく炭化が進んでいるかどうかは、中の様子が見えないので、煙のにおいで判断します。炭化が始まると、劇的ににおいが変わるので、今となってはすぐわかるのですが、最初の頃はにおいだけで状態を判断するのがなかなか難しく、自信がなくてよく失敗したものです。幸い花粉症ではないので、風邪ひいた時くらいしか鼻詰まりにはならないのですが、花粉症の炭やきさんは本当に大変そうです。(笑)

ちょっと難しい話になりますが、木が炭化してる時、化学的には熱分解が起きています。読んで字のごとく、熱で木を構成している分子が分解しているのです。木は、セルロース、ヘミセルロース、リグニンといった物質からできていますが、これらがもっと細かく炭素Cや酸素Oや水素Hなんかにバラバラに分解され、新たな化学反応を起こしてほとんどが気体(煙)となって外へ出ていきます。この熱分解の時に分解熱という熱が発生して、さらに窯の温度が上がり、熱分解が促進される、ということになります。最終的に炭素Cだけが固体として残り、これがいわゆる「炭」というわけです。

窯の大きさが人によってマチマチなので、一概には言えませんが、ウチの窯で約3日間で炭化が終わります。大きな窯だともっと日数がかかります。炭化の最中も刻々とにおいが変わるのですが、炭化が終わると煙の色も薄くなり、においも刺激臭がなくなってきて、炭化終了を知らせてくれます。もうこの時点で中の原木は完全に炭になっています。このままこの状態で口を完全に密閉して火を消してしまい、数日冷まして窯から取り出すと黒炭の完成です。よくホームセンターなんかで安く売ってる、カサカサした軽くて黒い普通の炭、あれが黒炭です。

でも備長炭は白炭なので、これでは終わりません。炭化が終わり、全部炭に変わった段階で、火を消さずに逆に少しずつ酸素を入れる量を増やしていきます。すると徐々に中の炭に火がついて、ゆっくりと赤く熾ってきます。すでに木ではないので、炎を上げてボーボーとは燃えず、炭自体がオレンジ色に光ってくるような感じです。ここで一気に酸素を入れ過ぎると、炭がびっくりしてボロボロと崩れてしまうので、本当にゆっくりと、ちょっとずつ穴を大きくしていきます。この作業を「ねらし」と言いますが、だいたい25〜30時間くらいかけて窯の口を全開にしていきます。

窯の口を全開にする頃には、中はオレンジ色からまばゆいばかりの黄金色になっており、中の温度は1000℃を超えています。このまま放っておくと、だんだん炭が燃え尽きて減っていくので、頃合いを見て出し始めます。エブリという、長〜い鉄(ステンレス)の棒で、少しずつ外へかき出すのです。そしてギンギンに熾っているかき出した炭を一ヶ所に集め、素灰(スバイ、灰と赤土やら砂やらを混ぜたようなもの)をかけて埋めてしまいます。素灰に埋めることで、酸素が遮断され、燃えていた炭はそのまま消えていきます。いっぺんに沢山はかき出せないので、ちょっとずつ出しては素灰をかけ、またちょっと出してはその上に素灰をかける、という作業を延々と繰り返します。これが窯出しです。だいたい10〜12時間くらいかかります。夏の窯出しは、まさに地獄のような暑さです。

窯出しを終えた窯は、ゆっくりと冷めていきますが、ここであまり冷ましてしまってはいけないのです。この窯出しの時の熱を次に利用するため、まだ人が入れないくらい熱いうちに窯入れを始めます。以前は、窯出し後2時間くらいしてもう窯入れを始めていましたが、ここ2年くらい前から、さすがにちょっと体力が持たなくなってきて、窯出し終わった後に窯をまた閉めて出来るだけ冷めないようにしておいて、次の朝から窯入れを始めるようになっています。それでもまだ人が入ることはできません。なので、タテマタという道具を使って、窯の口から中に原木を差し入れて、ヨイショっと奥の壁に立てかけるようにして入れていきます。半分近くまで入れると、中もだいぶ冷めてきて、ちょっと熱めのサウナくらいになってくるので、途中からは原木を持って入るようになります。だいたい4〜5時間くらいで口までぴっちりいれて、閉じて終わりです。このまま数日間蒸しこむことで、原木の水分を抜き、そして口焚きを始めることで、ふりだしにもどる、というわけです。

覚悟はしていましたが、炭がやける行程だけでやっぱりこんなに長くなってしまいました……。ここまで根気よく読んでいただいた方、本当にお疲れ様です(笑)

でも、窯での他の作業のことはまだ全然書けてないのですよ(涙)まぁ、また次の機会に改めて書くことにします。それではまた。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-01-16 23:13

通常運転

お正月明けの日程というのは、ここ最近ほぼ決まってきています。

大晦日の晩は、二人の子供たちが田辺のお義母さんのとこにお泊まりして年越しするため夫婦二人で過ごし、元日は午前中、内井川地区をぐるっと一周往復約二時間程、ゆっくりのペースでランニングしながら、途中お宮さんで初詣。お昼におせちをいただき、夕方は田辺のお義母さんとこで義弟家族と共にみんなで食事。

二日は1日フリーなのですが、どこへ行っても車と人ばかりなので、たいてい家でのんびり過ごします。今年は、飼っているブタの放牧地の柵の改良などで、結局ハードな1日を過ごしましたが(笑)

三、四日は毎年恒例の加古川行き。高校卒業以来もう20年以上続いてる「新年益田会」に参加。高3の時の担任の益田先生と数人の同級生の集まりですが、本当によくこれだけ長く続いたものです。恐らく誰かが最後の一人になるまで、まだまだ何十年も続くでしょう。今年は今まであまりパッと冴えなかった(失礼!)男が、ようやく結婚するというビッグニュースがあって、幸先の良いスタートになりました。

五日はこれまた恒例の消防出初式。毎年、一斉放水の際の筒先役になることが多いですが、今年はなんと集合時間に少し遅れてしまい、何人かの団員と共に詰所待機の役に。残っている消防車両で近くの河原に行って、放水点検したり、備品のチェック、詰所の掃除など。

六日から仕事始めの予定が、季節外れの暴風雨のため、午前中はほとんど何もできず、昼過ぎから窯に火を入れ、年末に出した炭の選別作業を少しだけ。実質は七、八日で箱詰め作業を終わらせ、今日は初出荷でした。昨日から学校も始まり、給食も今日からということで、いよいよ本格的に通常運転の日々が始まります。

それにしても、この年末年始は炭の注文がやたらと多く、嬉しい悲鳴をあげています。普段は、9割以上決まった顧客のお店(焼き鳥屋)に燃料として送ることがほとんどで、たまに個人の方がちょっと分けて欲しいと注文をくれるという感じなのですが、この半月くらいの間に、火鉢で炭を使いたいとか、新たに焼き鳥屋を始めたので炭が欲しいとか、ちょっと飾り物を作るのにこんなサイズのものを100個ほど欲しいとか…、なんか知らんが全然炭が足りません(笑)
昨シーズンから冬だけ限定で火鉢用に注文くれる人もまた電話があったり、こんなブログなんか書いてる暇があったら、さっさと仕事せんと追いつきません。

まぁでも、ホントに何年か前と比べると、火鉢で炭を使いたいという人はなんとなく増えてきてるように感じます。薪ストーブも以前と比べるとだいぶ普及してきており、普通にホームセンターなんかで手に入るようにもなりました。薪にしても炭にしても、一時はほぼ絶滅に近い状態になりかかってた物が、今になって徐々に見直されてきているような気がします。一方ではオール電化が普及して、家の中でガスの火さえ使わなくなってる家も数多くある中、暮らしの中に少しでも直の火を取り入れたいと願う人が増えるのは、個人的には大賛成です。火は、確かに扱いを間違えると取り返しのつかない惨事に繋がりますが、人間にはその火を上手にコントロールし、有効に活用してきた長い長い歴史があります。寒い冬に、暖かい直火に当たって温もることほど、心豊かになることはないでしょう。

住宅事情によって、なかなか家の中で火を使うことが難しい所もあるでしょうが、少しずつでも生活に火を使う人が増えてくると、燃料を供給する側の田舎が元気になってくるかな、なんてことも考えたりしながら、ボチボチエンジンかけて仕事しなければ、と思った一日でした。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-01-09 12:30

年の瀬

 今年ももうあと少し。日が変わればお正月ですね。

 毎年毎年いろんな出来事がありますが、今年もいつも通りたくさんの思い出深い出来事がたくさんありました。せっかくなので、自分自身の記録のためにも今年の十大ニュースなど考えてみました。なんか一年の内にあったこととは思えないくらい充実してたような気がします。

1 ヤギの出産と死

 ちょうど1年前の今頃、お腹の大きかったメスヤギのマルコが、1月半ばに我が家で初めて子供を産みました。2頭の女の子。1年で一番寒い時期に産まれたのがよくなかったのか、1ヶ月弱ほどたったある朝、一頭は冷たくなって倒れていました。その後、ほとんど間をおかずに再び妊娠したマルコは、7月にまた2頭を出産。しかし出産前から体調が悪く、下痢を繰り返していたマルコは、出産後も下痢は止まらず、乳が出なかったので産まれた子たちはほとんどミルクで育てることに。2ヶ月ほどして、1頭が下痢をし始め、あっという間に衰弱して亡くなり、数日後、ずっと調子の悪かったマルコも後を追うように天国へ旅立ちました。現在は、父親のワカ、1月に産まれた2頭のうちの1頭のノンノ、7月に産まれた2頭のうちの1頭のモモの3頭で元気にやってます。

2 犬のこと

 我が家に引っ越してきた時からニコタロウという犬がいますが、もう1匹くらいいてもいいかと思っていたところ、隣の村で迷い犬として保護されたマフィンというメスの犬を引き取ることに。しばらくしてお腹に子がいることが判明し、1ヶ月くらいして出産。たった1匹だけ産まれました。フジちゃんと名付けてそれはそれは可愛がっていたのですが、8月にあろうことか自分の車の下で昼寝していたのに気づかず、巻き込み事故を起こしてしまって死なせてしまうという、いつまでたっても悔やみきれない出来事が起きました。その後1ヶ月くらいしてニコとマフィンが発情期に入り、もう一度産ませてあげたいという想いにかられ、妊娠。そして11月に5匹の可愛い子犬たちが家族の仲間入りしました。現在7匹の犬に囲まれています。

3 北海道旅行

 実はあまり周りには言ってなかったのですが、春休みに家族4人で北海道へ一泊二日という弾丸旅行に行ってきました。陽大の保育園卒業と小学校入学を祝って、何か喜ぶことを考えたのですが、ずっと飛行機が好きで一度乗ってみたいとしつこく言っていた頃で、なんとか格安チケットを探してほとんど「飛行機に乗るための旅行」みたいになってしまいましたが、本人は大興奮で忘れられない思い出になったことだろうと思います。今度行くときは、もうちょっとゆっくり行きたいですねー。

4 陽大の小学校入学

 上の項でも書きましたが、長男の陽大が小学校に無事入学しました。上の中2の娘が通っていた二川小学校は、娘が卒業と同時に閉校となってしまい、近くの学校と統合した新しい中辺路小学校の第2期生となります。一クラス(一学年)13人のメンバーは保育園の時と変わらず、それなりに楽しくやってるようで、片道30分くらいかけてバス乗り場まで歩いて行き、そこからスクールバスに乗せてもらって毎日通っています。

5 四万十川カヌーツーリング

 5月の下旬の1年で一番いい季節に、高知の四万十川へカヌーツーリングに行ってきました。みよちゃんはお留守番で子供二人連れて、現地で僕の参加している薪割り集団「ランバージャックス」のメンバーと合流し、キャンプしながらカヌー三昧の三日間でした。天気にも恵まれ、大人数でカヌーし放題、焚き火し放題、酒飲み放題、とにかく遊びたい放題の三日間は、あっという間に過ぎてしまい、あんなに楽しいことは久しぶりだというくらい、ホントに楽しい日々でした。毎年の恒例行事にしたいと真剣に思ってますが、とにかく遠いのがちょっと・・・。子供達のためには、また来年も行けたらと思っています。

6 窯の改修

 今の場所に炭窯を作ったのは2011年始め、ちょうど出来上がって窯を温めるためにどんどん火を焚いていた時に震災が起きたので、よく覚えています。あれから3年、新しい窯はどうしても土の収縮が激しく、どんどんヒビがひどくなっていき、煙がいたる所からもれ出して窯の調子を取るのが難しくなってきて炭の質も変わってきたこともあって、一旦止めて中規模の修理をすることにしました。特に痛みの激しかった入り口周辺を中心に、石積みを崩してほぼ積み直し、中の床を全面張り替え、窯の奥の煙の引ける重要な箇所である「ケタ」部分の修理、思ってたより時間がかかりだいぶ休んでしまいましたが、その後やき始めてからは、調子もよくなり、いい炭も順調に出るようになりました。今までは修理の度に師匠に確認を取ったり、来てもらったりしていたのですが、今回は始めて自分一人で全部やり遂げることができて、少し自信になった気がします。

7 入院

 あまり思い出したくないことですが、8月のお盆過ぎ、突然の高熱が続き、病院に入院するはめに。数日で熱も下がり、結局3泊4日の入院生活でしたが、体調には本当に気をつけなければと、つくづく思った経験でした。入院は4日でしたが、仕事は実質1週間以上休むことになり、秋以降の予定も大幅に狂い、やはり大変だったなと今になって思います。病院の先生や看護師さんたちがとにかく皆んな優しく、親切で、献身的に働いておられたことが印象的で、あれはあれでいい経験になったとは思います。

8 マジカルサウンド大劇場@温川

 僕の住んでる所の隣の地区は温川(ぬるみがわ)といいますが、ウチと同様ホントに山奥で、山と川しかない所に民家が点在しているという感じのところですが、ここにパラダイスカフェという週末だけやってるカフェがあり、横に大きな倉庫があるのですが、そこで10月にイベントがありました。同じ地区に住むAWAYA さんというサウンドアーティストの二人が主催で、ピアノやサックス、ブルースハープ、ギター、しちりき、ウクレレ、チェロなど多彩な楽器演奏の中に和太鼓とカホンの演奏で参加させてもらい、物語の朗読も一部担当させてもらいました。普段は太鼓のグループに所属し、大勢で叩くことがほとんどなので、一人で叩くという経験は緊張もMAXでしたが貴重ものになりました。4日前にその時のメンバーで忘年会&ビデオ上映会をやり、初めてその時の映像を見ましたが、素晴らしいステージに自分が参加できたことに改めて感謝したいと思います。

9 ブログはじめ

 このブログを始めたことは、自分にとってはやはり大きなことかなと思います。40代になったということも含め、これからの人生後半戦をちょっと真剣に考えて見るいいきっかけになればと思っています。まあでも、あまり大げさにならず、基本は今まで通り興味を持ったこと、やりたいことをできる範囲でやっていくということに変わりはないとは思いますが。

10 出会い

 特にこれといった出来事ではないですが、今年は本当に新しい出会いがたくさんあったように思います。今までも毎年のようにいろんな新しい出会いはありましたが、特に今年は今まで以上に多くの人たちとつながることができ、たくさんの人たちが我が家を訪ねてくれました。来る人来る人が皆んないいところだと言ってくれて、本当にこの場所も喜んでいると思います。いろんな縁があって、良いところに住まわせてもらってるので、さらにいろんな人に来てもらえるような素敵な場所にしていこうと色々考えていますので、自分でもこれからが楽しみです。どうぞみなさん、これからもどんどん我が家へ遊びに来てくださいね。

 ということで、10の出来事を書きましたが、まだまだたくさんのことがあった充実した一年でした。来年も良い年にしたいですね。みなさんも、やりたいことはどんどんやっていって、素敵な充実した一年にしてください。では、良いお年を!

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# by sumiyakiYAMATO | 2015-01-01 00:17

炭やきという仕事

 「仕事は炭やきです。」と言って、どんなことをやっているのかなんとなくでも想像できる人は、一体どれくらいいるでしょうか?僕自身、炭やきの仕事を始める前は、炭やきのすの字も知らず、何のことだかサッパリ分からず、「木を伐って炭にする?そんなことでメシが食っていけるのか?」とほとんどいぶかしく思っていました。都会でしか生活したことのない人なら、なおさらでしょう。
 
 僕が生まれた時にはすでに電気やガス、灯油などが当たり前に普及していて、生活に炭を使うということはありませんでした。自分が炭をやくようになってから知ったことですが、こういったものが一般的に普及し始めたのは、昭和30年代くらいからだそうです。今から60年くらい前までは、炊事の際の煮炊きや部屋の暖房には、普通に炭や薪が使われていました。ほぼすべての家庭で季節問わず毎日使うわけですから、大量の炭が必要で、日本全国あらゆる所で炭がやかれていたことになります。

 その中でも、質のいい炭を作るのに最も適したウバメガシ(この辺ではバベと言います)という木がいたるところに群生しており、窯を作るのに適した熱に強い土と石がたくさんあったこの紀伊半島では、特に盛んに炭やきが行われていたようです。江戸時代にはここ紀州で製法が高度に改良されて、田辺の炭問屋「備中屋長左衛門」が江戸に向けて高級品として売り出したことから、「紀州備長炭」のブランド名が広く知れ渡ったということです。特に他の木と比べて硬く、水に沈むほど重いバベをやいた炭はとても重宝がられ、高値で取引されたことから、今では備長炭=ウバメガシと思われていますが、つい最近まで(といってもs40〜50年代くらいか)どんな材料でやかれた炭でも、紀州でやかれたものは備長炭として出荷されていたようです。時代の変化に伴って、炭の需要があっという間に激減し、今では本当に質の良いものしか必要とされなくなったため、自然とバベか他の樫類(アラ樫など)の炭しかみんな作らなくなってしまい、さらにアラ樫よりバベの炭の方が値段がいいので、紀州の備長炭はすっかりバベばかりになってしまった、というのが本当のところでしょう。

 備長炭に限らず炭全般について言えば、全国燃料協会というところの統計で、平成20年の時点ですが全47都道府県全部で木炭の生産出荷が確認されているらしく、実は今でもほとんどの地域で炭やきが行われてることになります。ただ、専業の炭やきさんがたくさんいるところは少なく、黒炭なら岩手周辺や北海道、備長炭を含む白炭では和歌山の他に高知周辺や宮崎周辺といったところでしょうか。黒炭と白炭の違いは、製法の違いによるものですが、詳しい話をするとそれだけで長くなりそうなので、またの機会にします。

 和歌山県の備長炭の生産量は、ここ近年1500トン/年前後といわれており、白炭では全国ダントツ1位で、僕のところでは年間だいたい8〜9トンくらい作っています。ウバメガシの原木1トンに対してできる炭の量は約110〜120キロくらいなので、年間で80トンくらい、いや炭にやくバベ以外の雑木も結構伐ってるので、1年で100トンくらいは木を伐ってることになります。そんなに伐ってたのか・・・改めて考えるとすごいね(笑)

 炭やきの仕事は、ほとんどが木を伐ることです。炭は窯がやいてくれるので、人間のすることは木を伐って材料を用意をすること、原木を窯に入れて炭になったものを出すこと、あとはできた炭を選別、箱詰めして出荷することくらいのことで、本当にほとんど木を伐りに行ってます。あともう一つ大事な仕事は、いい窯を作ることでしょうか。一度作ってしまえば、多少のメンテナンスをしながらも何年かは(うまくすれば10年くらいは)使えるものですが、窯が8割腕が2割、と言われるくらい窯の出来が品質を左右するので(結局はいい窯を作ることが腕がいいということなんでしょう)、僕も独立してからも長い事、ちょっと修理するたびに師匠の元へ色々聞きに行っては確認をとったりしていました。今年の夏、かなり大きな修理をしたのですが、初めて師匠に頼らずに自分だけでやってみて、今のところそれ以降調子がいいので、少し自信になったような気がします。炭窯の詳しい構造や作り方など、あまりマニアックなことを長々と書いても読んでくれなさそうなのでやめときますが(笑)、昔からの腕のいい、窯作りの上手な職人が年々減ってきている今、一番しっかりと受け継いでいかないといけない部分だと思っています。

 ここまで書いて思ったのですが、この仕事について具体的な作業の内容やら、山での仕事のことやら、業界全体の課題やら何やら色々書こうとすると、とても一度に書けそうにないことがわかってきたので(笑)ちょっと何回かに分けて書こうと考え直しました。まあ、興味がなければ無理にとは言いませんが、気長に付き合ってください。いや、必ずしも連続してこの続きを書いていくというわけでもなく、違う話題も間に挟んでいくかもしれませんが。

 最後に一つ、僕は文章中で、炭を作るという意味の「炭やき」という場合は「やき」とひらがなで書くようにしています。よく「炭焼き」というふうに「焼き」という漢字を使う書き方がありますが、この場合は「炭焼きやきとり」「炭焼きコーヒー」など何か食材を炭を使って焼く場合に使う表現だということを、何かで読んだことがあり、実際「炭やきの会」や「国際炭やき協力会」などのサイトでは「やき」とひらがな表記になっていることが多いので、これに倣うようにしています。これについては、正確な根拠を色々調べてもなかなかわからないのですが、誰かわかる人いませんかねぇ。 

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# by sumiyakiYAMATO | 2014-12-26 01:30

初めてのブログ

 40歳になったのを機に、何か新しいことを始めてみたいと数ヶ月前から考えていたのですが、今までやってきたことや培ってきた経験、日々思っていることなどを外に向けて発信していってもいいような気にだんだんなってきて、ちょっとずつでも書いていこうと思います。

 まずは最初ですので、自己紹介など少し。昔からよく知ってる人もいるでしょうが、最近お近づきになった方もいるでしょうし。あまり詳しく書くと長くなるので、まあざくっと。


 生まれは大阪の寝屋川市、昨日で40歳になった寅年、射手座のO型です。わけあって中学と高校は兵庫県の加古川市で6年間過ごしました。今でも加古川には友達も多く、年に数回遊びに行きます。昨日おとといも、親友宅であったクリスマス会に参加しに行き、楽しいひと時を過ごしました。お世話になったみなさん、ありがとう。

 小学生の頃からサッカーをやっていて、高校の頃は正直サッカーのことか女の子のことしか考えてなかったようなもんでしたが(笑)、卒業後もどうしてもサッカーがやりたくて、無謀にも王国といわれるブラジルへと旅立ちます。そこで20歳までの2年弱の間、サッカー漬けの毎日を送ることになるのですが、このことはまたいずれ改めて書く気になったら書きます。

 結局は夢破れて帰国するのですが、当時はJリーグが始まって2年目のシーズン前、1年目の大フィーバーが嘘のように怒涛のリストラの嵐の真っ只中で、しかも今と違ってプロチームが10チームしかなかった時代、どこのチームにも入れず(ま、実力がなかっただけですが・・)今更、仕事しながら社会人リーグでやるのも変なプライドが許さず(笑)きれいさっぱりやめてしまいました。

 その後は、大阪でいわゆるフリーターのような感じで色んなアルバイトを転々としながら、ブラブラと過ごしていましたが、どうせ一般的なレールからは外れてるんだし、せっかくなので若いうちにしかできないことをやってみた方がいいんじゃないかと考えて、またまた無謀にもバックパックにキャンプ道具を詰め込んで、日本中を野宿しながら歩いて回るという旅を始めることにしました。お金がなくなれば、住み込みで仕事を探し、1〜2ヶ月してお金がたまればまたどこかへ、ということを2年ちょっとくらい続けたことになります。関西はもちろん、信州、北陸、東北、北海道、九州など、いろんな所で多くのことを経験したことは、今の僕の基礎を作ったといってもいいかもしれません。そんな旅の途中、またお金が底をつき、住み込みのいいバイトがあるということでやってきたのが、ここ和歌山の田辺でした。1999年、24歳の時です。

 期間限定のイベント会場の警備員の仕事を住み込みでしている最中に、地元田辺の女性と知り合い、仲良くなってそのままここで結婚に至る、というわけでした。まあ、何かの縁があったのでしょうね。

 子供が生まれるとなった時に、なんとなく街中よりはちょっと田舎の方が育てやすいかなと思ったのと、あちこち見て回った経験から、住むなら空気と水のきれいなところがいいなと思っていたので、田辺の周辺で住むところを探していて、たまたま市内から車で40分くらいの中辺路町に町営住宅が空いていたのがここへ移り住む直接のきっかけとなりました。

 とりあえず生活のために、土方仕事を紹介してもらって1年半ほどやった後、一度運送会社に就職して2年くらい勤めたこともあるのですが、半年もしないうちに会社員は全く向いてないと気づき(笑)、何か自分でできる仕事がしたいというのと、せっかく自然豊かな場所に暮らしてるんだから、ここならではの仕事が何かないかと考えてる時に、紀州備長炭の炭やきをしている人と知り合いになり、話を聞いたり仕事を見せてもらったりしてるうちに興味がわいてきて、数ヶ月後には会社をやめて修行の日々が始まっていました。

 できれば30歳までには独立したいという思いと、実際さっさと独立しないとメシが食えないという状況で、本当にいろんな人のたくさんの協力があって土地を提供してもらい、窯を作って自分で炭をやき始めるようになったのが、ちょうど10年前の30歳になる1ヶ月前のことでした。僕自身はやりたいことをやってるだけだったので、まったく苦労したという記憶はないのですが、奥さんはホントに大変だったと思います。今でも頭が上がらないのはそのせいかな。感謝してもしきれません。

 炭やきになるもっと前から、実は農業にも興味があって、自分が食べる物くらいは自分で作れるようになりたいと思って近くに畑を借りて野菜を作るようになり、数年後炭をやくようになってからは友達と一緒に田んぼまでやるようになっていましたが、家と窯と田んぼとがそれぞれバラバラの所にあり、移動に結構不便を感じるようになってきていました。どこか1カ所で自分たちのやりたいことが色々できるような場所がないか探すようになっていたのですが、願っていれば叶うもので、いつも色々お世話になっている人から同じ町内の今の住んでいる所を紹介してもらい、移り住んだのが2010年の2月、もうすぐ丸5年になります。

 1年後には窯を移築し、現在は自宅の敷地内に窯があり、田んぼと畑があり、いつのまにか増えたたくさんの動物たちと一緒に暮らすという生活を送っています。家族は、みよちゃん(奥さんね)、日菜恵(ひなえ 中2)、陽大(ようた 小1)の4人の人間と、ヤギが3頭、ブタが2頭、ネコが2匹、そして先日出産した子たちを合わせて犬が7匹、(実はニワトリがいたのですが、ついこないだイタチかタヌキかに襲われてやられてしまったのです・・)の大家族?で暮らしています。

 なんか手始めにちょこっとのつもりが、だいぶ長くなってきたのでこの辺で今日のところはやめときます。ここまで書くのに今時計見たらなんと2時間弱・・・こんなことで続くんかいな(笑)

 さすがに毎日は無理ですが、できれば週1〜2くらいは書いていけるようにしたいと思ってますので、末長くお付き合いのほどよろしくお願いしますね。 

 
 

  


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# by sumiyakiYAMATO | 2014-12-23 00:59