安保法案可決の朝

安全保障関連法案が、参院本会議で可決成立しました。

なんだか書きたいことがたくさんあり過ぎて、考えがまとまらないままとりあえず思ったことを書いていきます。

まず今回の法案に関していえば、最後まで納得いくような説明を賛成派の方から聞くことはなかったように思います。先日の賛否両方の意見を聞くというイベントの司会をするということもあって、一度これまでの先入観をなくし、法案をとにかく隅々まで読んでみて、賛成派と反対派の両方の意見にできるだけ多く触れ、国会での首相や防衛大臣の答弁も今までにないくらい見てきました。その上で、色んな事を考えましたが、やはりこの法案が日本の平和を守るためにどうしても必要だという結論には結局なりませんでした。

今回の法案(10の改正案と1つの新案)を全部読んで理解するのは、なかなか並大抵なことではなく、今でも全てを理解しているかと言われても自信はありません。ただ、決定的に今までと変わるところ、みんながこぞって猛烈に反対しているポイントは、「集団的自衛権を認めること」と「自衛隊が世界のどこへでも出向いて行って武力行使が可能になること」だと思います。

集団的自衛権とは、要はアメリカがどこかの場所で戦闘行為をしている最中、アメリカが相手から攻撃を受けた場合に日本の自衛隊も出かけて行って後方支援活動できる、ということでしょう。アメリカという国は、第二次大戦後も、世界中あちこちで紛争解決のため、平和を守るためといって戦闘行為を繰り返している国です。実際には、中東イスラム圏の国々で空爆を繰り返し、罪もない人々を巻き込み、憎悪や恨みを作り出してテロリストを産み出す原因を作っています。はっきり言ってイスラム圏では、アメリカは相当嫌われ、怨まれていると思われます。

そのアメリカの後方について、支援活動を行うというのです。僕にはこれが日本の平和を守ることに繋がるとは到底思えません。

憲法9条なんか国際社会では何の意味もなく、日本を守ってはくれない、という人もたまに見かけます。しかし実際、紛争国などで国際支援活動をしている日本のNGOの方の話を聞くと、日本には戦争をしないという憲法があり、平和な国だということで信頼され、危険な地域でも日本人だということで狙われることなく活動ができる、という話はたくさん耳にします。逆に戦争をしない平和な国ということで、狙われたり危険な目にあったりなどという話は、僕は聞いたことがありません。

今回の法案は戦争をするための法案ではない、と政府は言い続けています。政府答弁では、戦争犯罪を犯すような国の支援は一切しないと応えていますが、今までのベトナム、湾岸、イラク、アフガンなどでのアメリカの戦争を、戦争犯罪であるとは結局一度も認めることはありませんでした。つまり、これから先ああいった場所に自衛隊が支援に行く可能性は十分にあるということです。確かにこちらから戦争を仕掛けるなんてことはあり得ないですが、戦闘地域に出かけて行ってアメリカの後方で支援活動をするということは、戦争に巻き込まれに行くのと同じことです。

アメリカ兵だけが血を流して、日本は見て見ぬフリか、ということを言う人もいますが、別にアメリカ兵なら死んでもいいなどと誰も言っていません。武力を持って他の国に入って行くこと自体をいい加減止めにしたらどうか、と言っているだけです。

武力は人を殺し、街を破壊するためだけにあるものです。それ以外に使い道があるという人は、一体何なのか教えて欲しい。「日本が攻められた時に何もできなくていいのか?」という声も少なくありません。特に中国の脅威をことさら煽る人々は多いのは確かです。僕自身は中国が脅威なのかどうかは判断がつきませんが、もし仮に脅威だとして、中国がホントに武力で日本を攻めてくるぞ!となった時、どうするか?

そりゃあ自衛隊が体を張って国民を守ってくれるでしょう。そのために自衛隊があり、日々厳しい訓練を重ねていてくれているのです。その時のためにある程度反撃できる程度の武器は最低限必要かとは思います。(本当はないに越したことはないでしょうが)

でも、そのことは、はっきり言って今回の安保法案とはほとんど関係がありません。日本の領土領海内にどこかが攻めて入った場合は、今まであった法律の範囲内で個別的自衛権が認められていて、反撃はできることになっています。今回の法案に反対してる人々は、そんなことまで反対してる訳ではありません。この法案について、中国のことを引き合いに出してくる人々は、この法案の中身、そしてみんながなぜ反対しているかということを、全く理解していないと思うしかありません。

そしてもう一つ、先日もFacebookに投稿した「軍事産業」についてです。はっきり言ってアメリカという国は、軍事産業で成り立っていると言ってもいいような国です。世界中の軍事予算の大部分をアメリカが占めており、兵器を作る会社はアメリカ国内で巨大企業として君臨しています。武器を作るための材料を生産、調達するような関連会社まで含めると、数え切れないほどの会社があり、しかもそれは実はアメリカに限ったことではなく、日本も中国もイギリスもフランスもロシアもみーんな同じ穴のムジナで、世界の一大産業となっている現実があります。最近では民間の警備会社が武器を買うことも少なくないようですが、ほとんどの武器兵器は国の軍隊が買い取ります。つまり、世界中の税金の少なくない額が武器を買うことに使われていることになります。

さっきも書きましたが、武器は人を殺すための道具です。そして使わないと減らない消耗品なので、新しく作って売ろうと思うと、どこかで使ってもらわないと困るわけです。誰かがどこかで戦争を望み、仕掛けている、なんて話は僕も信じたくはありませんし、陰謀論であって欲しいと願っていますが、これだけ巨大な兵器産業が何十年にも渡って世界中に染み渡っている現実を考えると、色んな噂が広がるのも無理はありません。単純に考えると、世界各国で大量無差別に人や建物を破壊するような武器と呼ばれるものの製造を縮小、禁止していけば、自ずと戦争は減っていくはずです。でもどこの国もそんなことは言い出さない。軍縮会議なんてものもありますが、一向に話は進まず、国連も積極的に推進したりする話は聞きません。

日本は、世界でも稀に見る軍隊を持たないと誓っている国です。自衛隊はありますが、あくまでも国が攻め込まれた時のための最低限の自衛力であるとして、戦争には絶対に参加しないと平和を貫いてきた国のはずです。そして外国の戦争にほとんど関わってこなかったことで、実際に国民も自衛隊員も戦争でこの70年誰一人として殺し殺されなかった国です。本来なら日本が率先して武器の削減を世界に訴えていくべき立場だろうと僕は思います。

何もきれいごとを言いたい訳ではありません。僕は人間が人間である限り、世の中から争いがなくなることはないと思っています。みんな意見が違うし、一つにまとまることなんてありえません。暴力的な人もたくさんいるし、ズルい人も無責任な人もたくさんいます。僕だって別に聖人でもなんでもなく、腹黒いところもいっぱいあります。争いが起こるのは仕方ないと思いますし、争いたければ喧嘩でも何でもすればいいと思う。でも、戦争というのは、単に気にくわない者同士が喧嘩するのとは訳が違う。何にも関係のない、別に争いたいと思ってない多くの人々が巻き込まれて死んでしまうのが戦争です。よく例え話で、強盗に入られたらとか、家に放火されたらとかいう例えを出す人も多いですが、個人的な恨みは個人的に晴らせばいいし、周りの関係ない人々を巻き込んで、向こうの関係ない人々まで巻き込んでしまう戦争と一緒くたにするのは、全くナンセンスだと断言できます。


もうずいぶん長く書きましたが、もう少しだけ。

今回、全国的に大規模なデモが毎日のように行われ、日本中が結構な騒ぎになったと思いますが、でも騒ぎになったと考えてるのは実はこのことに関心のある人々だけで、その他大勢のあまり関心のない人々にとってどこまで何が伝わったのかなと、心配になることもあります。僕はあのデモ自体は、よく今の世の中あれだけの人が集まったなと嬉しく思うし、先導していたシールズの若者たちも素晴らしいと思います。でも結局自分の仕事を脇に置き、時間とお金をかけてまで国会まで行こうという気にはなりませんでした。もし東京近辺に住んでいれば、一度くらいは行ってたかもしれませんが、心のどこかで「結局デモでは変わらない」という意識は常にあったように思います。デモが無意味であるとか、無駄だと言うつもりはなく、これをきっかけに多くの人々が本気で考える転換期になると思うと、絶対にやってもらって良かったと思うし、感謝しています。ただ、やはりデモに何十万人集まったからといって、法案が覆されるというルールは残念ながらありません。民意とは一体何か?民主主義とは何か?という問いも明確な正解はありません。選挙だ、という人、世論調査を重視する人、あれだけの人がデモに集まったんだから、という人、様々ですが、今の日本では、国のルールを決める方法は、やはり選挙で選ばれた議員の多数決で決める、ということになっている以上、それに従う以外には今のところないのだろうと思います。

ここ数日の国会での騒乱ぶりは、はっきり言って僕も不愉快でした。なんとかして、採決をさせないように頑張ってるつもりだったのでしょうが、あんな場面で無駄に時間稼ぎをしたり、暴力的にも見えるようなやり方で妨害するのは、はっきり言って逆効果でしかないと思います。支援してる人々には頑張ってるように見えたかもしれませんが、賛成派の側、どちらとも言えない人々やあまり関心のない人々にとってみたら、「何やってんだ、ありゃー。」としか映らないでしょう。ますます政治に対して不信感を与えることになると、なぜ誰もわからないのか、せっかく多くの市民が暴徒化することなく、節度を持って声を上げているというのに、それを台無しにするかのような茶番劇を見て、正直悲しくなりました。


法案はすでに可決しましたが、政府の言うように今すぐ自衛隊が海外に出向き、戦争に参加するようになるということにはならないでしょう。ここで、やっぱり市民の声は届かないのかと諦めてしまっては、60年70年の安保闘争の二の舞になるだけです。恐らく今後自民党は、政治の争点を安保から引き離し、TPPや消費税、経済政策へと持っていくでしょう。まぁそれらの問題も大事なことで、繋がってないわけではないですが、今回のことで、多くの若者が政治に関心を持ち、どうすれば声を上げられるのか、そしてどうすれば政策が実現できるのかということがよくわかるきっかけにはなったと思います。選挙で議員を選ぶということが、どれだけ大切なことかということもよくわかったと思います。僕自身も、特に何かを諦めるということもなく、今まで通り自分のできる範囲でできることをやっていくしかないと思います。一人の人間ができることはほんの少ししかありませんが、数多く集まれば声も大きくなることはこれからも信じて、毎日の暮らしを楽しみたいと思っています。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-09-19 09:06

ドッジボール

昨日、子どもクラブのドッジボール郡大会があり、グループ予選敗退で今年のなかへち子どもクラブのドッジボールの活動は終了しました。

上の娘の二川小時代から、この数年ずっと子ども達のドッジボールチームの監督をさせてもらっています。この辺の地域じゃない人にはわからないかもしれませんが、単なる遊びのドッジボールではなく、しっかりした公式ルールに基づくスポーツとしてのドッジボールで、やってる子ども達はもちろん、指導する大人や応援する保護者の方々まで、手に汗握って熱くなる、毎年の一大行事になっています。

毎年7月に、各市町村の大会があり、勝ち抜いた上位チームで郡大会、その郡大会で上位2チームが県大会に出場できるというもので、3年前の二川小時代には、県大会で3位に入る快挙を成し遂げたこともあります。

今年のチームは、5、6年生が多くて、一人一人の能力は高いながらも、なかなかチームとしてのまとまりが良くなくて、自分よがりなプレーの目立つチームでした。ドッジボールは1人や2人上手い子がいるからといって簡単に勝てる競技ではなく、12人のチーム全体のまとまりが非常に大事なスポーツです。

何度か練習試合を重ねても、やはり後一歩のところで勝つことがなかなかできず、どうすればチームが一つにまとまるか、とにかく子ども達と色々話し合う日々が続きました。

子どもクラブのドッジボールは、ただ単に試合に勝つことだけを目的にしているわけではありません。中学校や高校で部活がある訳でもなく、ましてや大人のプロのあるようなスポーツではないので、小学校だけで終わりです。ドッジが上手くなったところで、後々どうなるということはありませんが、チームとしてドッジに取り組むことによって、本当に色んなことを経験し、成長できるきっかけになると信じてやっています。

とにかく子ども達に言い続けてきたのは、「自分たちの頭でどうすればいいのかを考えること」です。とりあえず「試合に勝つ」という目標を立て、それを達成するためには、何が必要か自分で考えることです。

子ども達は一人一人個性や能力が違い、得意なこと、苦手なことがそれぞれあります。とにかく自分がボールを投げたい、触りたいという子もいれば、できるだけ目立たないように、誰か上手い人に任せたいという子もいます。自分にできること、できないことをしっかり考え、「チームの勝利のため」に今この瞬間どういうプレーをしたらチームのためになるのかを、自分の頭で考えられるようになってもらう。これができれば、おのずと強いチームになってくるものです。

チームメイト同士でよく話し合い、信頼しあい、人任せにせずにできることは積極的に行動する、ということを、練習の度に子供達に話し、伝えようとしてきましたが、なかなか思いが伝わらずにイライラしたり、練習が終わって帰った後で、本当にあんな指導で良かったのか思い悩んだり、ヘコみっ放しの日々で、正直シンドイこともありましたが、大会が近づくにつれ、徐々にチームの状態も良くなり、それと共にプレーにも変化が現れ、2週間前に行われた田辺市内大会では、強豪を見事破って予選リーグ1位通過、出場34チーム中ベスト8に進出して郡大会出場を決めてくれるまでになりました。

昨日の郡大会までの練習でも、だんだんと意識が変わってくるのがわかり、調子も良くなってきていたので、もしかすると県大会まで狙えるんじゃないかと期待が持てるほどに、成長した姿を見せてくれました。

残念ながら、昨日は予選リーグで自分たちの力を最後の最後出し切ることができずに、敗退してしまいましたが、この2カ月半くらいの間に大きく成長してくれたことは、本当に嬉しく思いました。

最後に子供達の力を最大限に出させてあげられなかったのは、やはり監督としての力量の無さだと思いましたし、正直反省することしきりです。毎日のように、どんな練習をしたらいいか考え、でもそんな練習で本当に良かったのか、また思い悩んだり、時には感情的になって声を荒げて子供達にどなったり、その度に帰って自分でヘコんだり、色々あった2カ月半のドッジの活動でしたが、終わってみれば、もう毎週のようにあの子達に会えないのかと、やはり寂しく思います。

毎年のように子供達の成長を間近に見られるのは、本当に幸せだと思いますし、できればまた来年、一段と成長した5年生以下の子供達と一緒に、ドッジボールで汗をかけたらいいなと思っています。

関わっていただいた子どもクラブの役員の方々、一生懸命応援してくれ、協力していただいた保護者の皆さんには、本当に感謝しています。この場を借りて色んな皆さんにお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-07-27 21:29

米づくり

我が家では、田んぼでお米を作っています。2007年から始めて、今年で9回目の米づくりになります。周辺の早いところでは、すでに田植えが終わっているとこもありますが、ウチでは毎年田植えは5月末から6月初め、今は苗作りの最中になります。

毎年穫れたお米を、次の種モミとして使い、苗作りから始めます。以前は苗箱をたくさん並べて作っていましたが、一昨年からは、一番小さい田んぼで苗床を作り、モミを直播きで作るようになりました。箱苗というのは、そもそも田植え機で植えられるように考えられたものなので、全ての田んぼで手植えする我が家では、箱苗で作る意味があまりないんじゃないかと、ある時気づいたわけです。厚みのない小さな箱で苗を作るより、直の地面で作る方がよっぽどしっかりした苗ができるので、昨年も一昨年も少ない苗の量で驚くほどしっかりした稲が実りました。


ところで今年は三年ぶりに、小学校の子供たちの田んぼ体験を引き受けることになりました。以前、上の娘が小学生の頃に毎年稲作りをウチでやってもらってたのですが、三年前に学校が統合して一旦途絶えていました。(昨年と一昨年は別の場所でやっていました)

前までの二川小学校の頃は、人数も少なく、全校20人前後だったので、全校児童と先生も全員参加でやってもらってました。田んぼ体験というのは、結構他の学校でもよくやっているようで、だいたいは田植えと稲刈りの作業だけ少し体験するというケースが多いみたいですが、やっぱりウチでやってもらうからには、最初の種まきから始まって、最後収穫して食べることまで、そして取れた稲を種として保存し、次の年にまたそれを使うという循環をきちんと経験してもらいたいという思いで、田植えと稲刈り以外の作業もみんなに体験してもらっていました。実際には、種モミの温湯消毒から始まって、モミ播き、苗作り、田植え、夏に一度草取り、稲刈り、天日干しの後脱穀、そして最後は文化祭で餅つきをして食べる、ということを毎年やっていたわけです。(当時はもち米を作っていました)

今年ももちろんほぼ同じ作業を子供達にやってもらおうと考えています。すでに、4月の末にモミを播いて、今は学校の校庭の隅で順調に苗が育っているところです。ちなみに今年はもち米ではなく、普通のうるち米で、収穫後は調理実習でご飯を炊いて食べる予定だそうです。

本当ならば、全校児童みんなと一緒にできれば良かったんですが、統合して70人以上になった子供達の全員のお世話をするのはさすがに難しいので、今年は5年生の15人が、今月28日に田植えに来る予定になっています。


それにしても、自分で米づくりを始める前は、田んぼというのはなんとなく敷居の高い、素人には難しいものだという印象があり、毎年毎年一年分をはるかに超える量の米が穫れるようになるとは想像してませんでした。

お米というのは日本人にとって主食であり、誰もが必ず食べるもので、ほとんど唯一と言っていい自給率100%近い作物です。これほどまでに日本で米が作られてるのは、米が日本の気候に合っていて、大変作りやすいからだと思います。はっきり言って米づくりの何の知識も経験もない素人の自分が、あまり大きな面積を作らなかった最初の年以外、ずっと一年分の米が作れてしまっている、ということが何よりの証拠でしょう。年によっては、雨が少なくて水を切らしてしまったり、逆に雨が多く日照りが少なかっり、いろんな失敗なんかもありましたが、多少の増減はあっても、稲が実らないということは本当にありませんでした。ウチは全く農薬も化学肥料も使わずに作っていますが、大きな病気や虫の被害などもほとんど被ったこともありません。多少なりとも米を出荷して収入にしている農家は、念のための保険のような感じで薬を撒いたりしていて、「消毒しないと米なんかできない!」なんて思い込んでしまっている人も少なからずいますが、本当のところは農薬など全く使わなくても米は普通にできるのです。それだけこの国の気温、湿度、水の豊かさや日照時間などが米づくりに適しているんだと思います。

周りを見れば、すでに放棄されて荒れた田んぼが毎年のように少しずつ増えてきています。田んぼで米を作っているのは、ほとんどがお年寄りばかりで、僕らくらいの30〜40代の若い人が田んぼをやっているのを、もうほとんど見なくなりました。確かに仕事もあるし、実際自分で作るより買う方が安上がりだというのもありますが、自分で作った米ほど美味しいものはないし、なにせ一年分の米がストックしてあるという安心感はなかなか半端なもんではないですよ。

みんなが思っているほど大変な作業が必要なわけでもないと思います。ウチは田植えと稲刈りは、半分趣味もあって(笑)手作業ですが、機械だって貸してくれるところもあるし、なんなら使われずに余っている機械だって探せばたくさんあります。実際の労働日数にしたら、4月から9月か10月くらいまでの間で、慣れてくれば10〜15日間程度じゃないかな。毎年手の抜きどころみたいなのもわかってくるので、年々楽になっていく気がします。週末作業だけでも十分可能ですし、そんな人もたくさんいます。

まぁみんながみんな自分の食べるモノを自分で作らないといけないわけではないとは思いますが、やってみると意外と楽しいこともたくさんあるし、実際美味しいものが手に入るし、もうちょっと若い人たちが「農」に興味を持ったらいいのにな、とこの時期になるといつも思います。

もし、ちょっとだけでも興味出てきた、田植えやってみたいなという人がいましたら、どうぞ歓迎しますよ。いつでも連絡下さいね。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-05-19 23:47

統一地方選挙

選挙戦も終盤、残すところ後一日となりました。最近では、期日前に投票を済ましている人も多いかもしれません。若い人の投票率が極端に低いという話をよく耳にしますが、これからまだまだ長く生きていかねばならない若者ほど、将来の事を考えてしっかり投票に行くべきだと思うんですがね。

若い人といえば、先日あるネットのニュースで、25才の引きこもりニートの若者が選挙に出馬して話題になっているという記事を見ました。千葉市議会選挙だそうです。どうも選挙にかかる税金の無駄遣いなどを指摘して、自分は選挙にお金をかけていない、などと言って自作のポスターを貼って回っているとか。しかもこれに対して「えらい!」とか「応援したい!」みたいな書き込みも少なくないようです。(中にはもちろん冷静な反応の方もたくさんいるようですが)

はっきり言って、どうかしてるんじゃないかと思います。

一日中部屋に引きこもり、友達も知り合いもなく、仕事もしていない。親に食べさせてもらってるんでしょう。外出もしないので消費税やガソリン税なども払ってないだろうし、働いてないので所得税や住民税なんかも払ってないでしょう。こんな人がそもそも税金の無駄遣いに文句を言える筋合いはないし、ましてや議員となって地域のために仕事ができるとは到底思えない。

いや別に引きこもりが悪いと言ってるわけじゃないんです。様々な理由で社会生活に馴染めず、苦しんでいる人達が少なからずいることはわかりますし、完全に個人の自己責任だけではないことも理解してるつもりですし、何らかの支援が必要だとも思います。ただ、選挙に立候補するというのは、大変に勇気のいることです。その気があってもなかなか出来ることではないでしょう。それを知った上で出馬したのなら、まずはその勇気を別の場所で使うべきだし、大変さを知らずに出馬したのなら、とんでもない世間知らずで、とても議員など勤まるはずもありません。

とはいえ、選挙に立候補すること自体は本人の自由ですし、訴えたいことがあるなら声を上げることはいいことだとは思います。それ自体を強く批判したいわけではありません。ただ常識的に考えて議員など勤まるわけがないこのような若者を捕まえて、半分冗談でも「ニート君頑張って!」などと持ち上げ、応援する人が少なくないことに、正直驚きましたし、もし本気で投票する人が続出したりしたら、それこそ世も末だと思います。

選挙に関心を持ってもらうための、一時の話題作りの一環として少しニュースにも取り上げられたのかもしれませんが、ホントに悪い冗談であってほしいものです。


翻ってわが和歌山県は、県議会選挙。
田辺選挙区には定数3に対して4人の候補者がでています。

はっきり言って選ぶのに大変苦労する選挙になっています。いや、バリバリ自民党バンザイの人は別に何も考えなくていいんでしょうが、そうじゃない人達には難しい選択を迫られているようです。

はっきり言いますが、僕は自民党が好きではありません。特に今の自民党は、とても国益をしっかり考えているとは思えない。ほとんどアメリカさんの言いなりです。集団的自衛権なんて、わざわざ戦争に首を突っ込まされるだけだし、憲法九条だって変える必要も理由も何もないはずです。戦争はもうしません、その為の武器ももう必要ありません、って言ってるだけの、至ってシンプルな条文で、平和を愛するなら逆に世界に向けて広めていけばいいのにと思うようなものです。原発だって、再稼働なんて全く意味がわからないし、TPPなんて日本の一次産業を根こそぎ壊滅させる可能性のある売国政策でしょう。

まぁあまり言ってもキリがないですが、そんな自民党に所属してる候補者が二人、そして無所属が二人(一人は自称民主系らしいですが)の四人から選ばなくてはいけない。あくまでも地方選挙なので、国政とは直接の関係は少ないのでしょうし、地元のために良く仕事をしてくれるのであれば、大きなイデオロギーはこの際脇に置いて考えてもいいかとも思いますが、心情的にはやはり自民党候補者に投票する気にはとてもなりません。

だとすると、残り二人なんですがね…、どうもどちらもパッとしないというか何というか……。(だいぶ失礼ですがホントにそう思うので…)

まぁでも、選ぶだけの選択肢があるだけマシなのかもしれませんね。全国的には、いや和歌山県内でも無投票で選挙にならない地区が続出している現状では、誰に入れようか迷うこと自体、贅沢な悩みなのかもしれません。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-04-11 14:28

田舎暮らし

僕はIターンという言葉があまり好きではありません。

都会から田舎の方へ移住してきた人を総称して指す言葉として使われることが多いですが、はっきり言って定義が全く曖昧で、どこからが都会でどこからが田舎かなんて人によって感じ方も違うし、自分から望んで田舎の方へ来た人もいれば、たまたま旦那の実家に嫁いで来た人や奥さんの実家に近い場所に移って来た人、仕事の都合で移り住んできた人など、生まれ育った場所以外の土地で暮らしている人は様々な理由でたくさんいます。

さすがに16年もここに住んでいると、Iターンと言われることもほとんどなくなってきましたが、10年くらいはたまに言われてたような気がします。そもそも「I」はターンなぞしてないし、言葉自体に大変違和感があって、平気で人に向かって「Iターンかっ!」なんて言ってくる人を見るたびに、悲しい気分になったものです。


先日、田舎暮らしに興味があるという都会の人たちを集めたモニターツアーがあって、先輩移住者との座談会が企画されており、誘われて少し参加させてもらいました。ツアーの参加者は、東京や大阪などから十数人、年齢層は定年間近の50代のご夫妻がほとんどで、一組だけ20代の若いカップル(夫婦?)がいました。

正直、半分冷やかしか、チラシを見てちょっと様子見に来ただけみたいな感じのように見えなくもなかったですが、後から聞いた話では、二組ほどは本気で移住を計画している人もいたらしいです。元々田舎出身で、都会暮らしが長い人なんかもいたようですが、基本的に都会暮らししか知らず、周りに何もないような田舎での生活が全く想像できないような方々ばかりだったようです。不便なことはないのか、買い物などはどうしているのか、病院は、学校は、などと色々質問されていましたが、あまりの感覚の違いに少し愕然としました。

確かに田舎で何もないとはいえ、最低限のものは揃うだけのスーパーや商店は近くにありますし、最近ではオシャレなカフェなんかも増えてきました。ネット環境さえあれば、ほとんど手に入らない物はないし、どんな山奥でもクロネコヤマトは配達に来てくれます。

「歩いてコンビニに行けるとこじゃないとヤダ!」というなら仕方ありませんが、車さえあれば(←これは重要ですが)特に不便を感じることはないように思います。まぁ慣れてしまっていると言えばそれまでですが。

田舎暮らしと聞くと、古い民家を改装して、自分たちの食べる米や野菜を自給する畑をやったり、薪割りなんかして家で薪ストーブにあたりながらゆっくりとした時間を過ごす、なんて悠々自適な生活を想像する方が多いかもしれません。確かに間違ってはいないですが、何もみんながみんなそんな暮らしをしてる訳ではありません。

ごく普通の現代的な家に住み、なんならオール電化でネット環境も完璧、仕事は町へ通ってサラリーマンや公務員、休みの日には家族でショッピングモールへお出かけ、というような都会とほぼ変わらない生活をしている人もたくさんいます。ただ家がたまたま田舎と言われる場所にある、というだけ。

田舎では、地域の行事や祭りなどに参加しないと気まずくなるとか、近所付き合いが大変かもなんていう話もありますが、実際はそうでもないと思います。僕自身は祭りやイベント事が好きだし、人付き合いも好きな方なので、積極的に参加しますが、地元の方でもこういう事が苦手で、全く顔も出さないという人もたくさんいます。そもそも近所付き合いが苦手ということは、田舎だろうが都会だろうがあまり関係ないような気もします。

都会と田舎、一応両方を知っているつもりの僕からしたら、(都会暮らしはほとんど忘れかけてますが…)それほど決定的な違いがあるようには思えません。いや、確かに違う所はいっぱいありますよ。空気や水の質、周りの環境、人の数、生活の仕方も違う所はありますが、「人間が暮らす」という意味では、何も違いません。その自分の住んでいる場所でどういう暮らし方をするかは、自分である程度選べる時代になっています。田舎でも都会的な生活はできるし、都会でもある程度は田舎暮らし的な生活はやろうと思えばできるでしょう。実際そこに住んでみないとわからないことが圧倒的に多いし、出来る事や出来ない事もやってみないとわからないことばかりですが、今住んでいる場所で自分の出来ること、やりたいことを精一杯やる、ということはどこにいたって同じじゃないかと思うのです。

要は、場所はどうあれ、自分がどういう生き方、暮らし方をしたいか、だと思います。

僕が言うと「お前が言うな!」と怒られそうですが、住む場所はそれほど重要じゃないんじゃないかなと。まぁ、今僕は素晴らしい縁のおかげで、本当にいい所に住まわせてもらって、今のところ大変幸せに暮らしていますが、もし何かが違って、今とは別の場所に住むことになっていたとしても、それほど大きく変わらない生活をしていたんじゃないかと思います。割と若い頃から、自分の生活を自分の手で作っていくような暮らしをしたいと考えていたので、基本的にはどこにいても似たような生活をしているはずです。

なんとなく都会の生活に飽きてきて、とか田舎のノンビリした時間の流れに憧れて、とかいう理由で、漠然と田舎への移住を考えているというような感じでは、はっきり言ってまず実現しないように思います。特に定年間近まで都会的生活にどっぷり浸かってきたような人たちでは、頭が相当に凝り固まっていて、簡単な一歩がなかなか踏み出せないようです。

別にそういう人たちは、田舎暮らしに適応できないなんて言ってるわけではないですよ。来てみたらいいんです。とにかく一度空き家を借りるなり、市営住宅に入るなりして、少し住んでみたら、意外に大した苦労もなく生活していけることにすぐ気がつくでしょう。でも、1〜2日の体験ツアーに参加して、地元の人の話を聞くだけで帰ってしまうと、ただでさえ頭デッカチになってるところへ、輪をかけて頭をデッカくしてるようなもんで、結局移住にまでは踏み込めないで終わってしまうことは、容易に想像できます。

一方でここ数年、子供のいる30代の若い人たちが、家族で中辺路に移り住んでくるケースが確実に増えてきています。こういう人たちは、お試しツアーなどで下見をしに来ることもなく、ほんのわずかなツテを頼りに、もしくは何のツテもなくいきなり地域に入り込み、自分で地元の人たちと仲良くなって、出来る範囲で出来る事をやって、確実に地域に根を下ろしつつ、色々苦労もあるでしょうが、幸せに暮らしていってるように見えます。

今回のツアーのようなものを否定するつもりは全くなく、むしろ可能性のあることはどんどんやったらいいと思いますし、協力も惜しみませんが、結局、都会から田舎への移住を考える際の最大の壁は、その人本人の頭の中にあるのではないかと思った出来事でした。
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# by sumiyakiYAMATO | 2015-03-12 22:05